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通訳者、保育園を探す 前編 (開業届を出すまで)

今回は保育園をキーワードにママ通訳者のドタバタを紹介したいと思います。

目次


  1. 「保活」の洗礼

  2. 「保活」とは「戦略を立てる」ことだ!

  3. 2人目に向けて

  4. 常に綱渡り


「保活」の洗礼

私が初めて「保活」の洗礼を受けたのは、長女妊娠中の2012年の秋の頃だったかと思います。当時は派遣社員として某大手ITメーカーで社内通訳翻訳をしていました。派遣社員でも、産休育休を取ることができると聞いたことがあり、早速派遣会社に問い合わせてみると、産休を取ることはできるけれど、育休は取ることができないとのこと( ̄ェ ̄;) エッ? どうやら、育休を取得するためには、健康保険への支払いが1年以上ないと対象外になるとのこと。実は、その企業さんで就業を開始したのが2012年の5月。出産予定日が2013年3月29日だったので、1年未満ということになってしまったのです。結局、長女出産後56日までは産休を取り、産休終了とともに、一旦、会社は辞めるけれど、2014年の1月頃から復帰するということで派遣元・派遣先含めて合意しました。 なぜ、2014年の4月ではなく、1月の復帰を希望したかと言うと、2013年の2月の中旬から産休に入ったのですが、実質9ヵ月半の就業実績の後、1年以上も休んで復帰できるのかという不安があり、かと言って産休後すぐに復帰するのは新米ママとしてのためらいもあり、というところで1月を設定させていただきました。 会社側は、実際のところどう思われていたか分かりませんが、復帰という道を用意してくださり、私としては今も感謝しております。 ただ、制度上の問題かとは思うのですが、健康保険に1年以上加入していないと育休を取れないというのは、変化の激しい世の中で働くママにとっては辛いところです。後段でもまた書きたいと思いますが、実は次女出産の時もこの”健康保険1年以上”の規定があるために苦労しました。。。(その頃はこれ以外にも大変なことがたくさんありましたが。)

「保活」とは「戦略を立てる」ことだ!

過去8年間、職場の変更、保育要件の変更、引越などなどを経て、いろんな保育園関連の書類を提出するはめになり、私なりに見つけた答えがあります。それは、「戦略を立てる」です。保活をされている方は、すでにいろんな戦略を練られているかと思いますが、保活には戦略が必要です!そして、相手(保育園入園の基準)を知ることが大事です!! 我が家の保育園に対する基本的なスタンスは、「とりあえず入れるとよい」なので、だいぶハードルは低いかもしれませんが、ポイントは3つかと思っています。 ①1ヵ月あたりの最低就労基準時間を確認する ②入園の判定基準を確認する ③希望園記入欄はすべて記載する 話は長女の「保活」の頃に戻します。とは言っても、もう8年も前の話で基準もだいぶ変わりましたので、ちょっと飛ばしながら進みます。余談ですが、当時は、申込が早い方が有利、市長への嘆願コメント欄ありなど”まさかな項目”が存在していました。前述したとおり、産休→一旦退職→口約束で復帰予定という曖昧な状態の中の「保活」だったため、申込書の記載について相談に行くと、市長への嘆願コメント欄にその旨書いてくださいとのことでした。どれくらい意見が反映されるか分からないけれど、保育が必要とみなされれば、よい判定材料になるとのことだったので、頑張ってアピールしました!「通訳業という専門職で復帰を待っていただいている。」という風に書きました。そして結果は、2014年4月からの保育園入園が決定しました。6つ希望園を書く欄があり、6番目に記載したところにぎりぎり引っかかったという感じかと思いますが、嬉しかったです。 そして、同じ頃、元職場から正式に復職のオファーをいただいていたので、ダブルで嬉しかったことを覚えています。

2人目に向けて

無事復帰を果たし、仕事と育児のバランスにも軌道に乗ってくると、2人目はどうしようかというのが視野に入ってきます。”健康保険1年以上”の穴には今後は絶対落ちない!と心に誓い、日々を過ごしていました。仕事と育児が両立できるように、1日6時間(9:30-16:30)、週4日の契約で、長女が3歳になる頃にはたまーにフリーランスの仕事に出させていただいたり、好きなようにさせていただいていました。(このnoteで通訳の仕事~SP対応編~を書いていますが、ちょうどその頃のお話です。)2人目に向けて環境はばっちり整えることができたのですが、そういう時に限って”こうのとりさん”は来てくれないもの。ありがたい環境だったものの、仕事の内容的にはもやもやしたものもあり、2016年の11月に日本の生命保険会社さんへと職場を変えました。「2人目ができたらできたときに考える、長女はもう3歳だから、最悪、保育園に通い続けることができなくなっても幼稚園がある。」という思い1つで新たな職場に飛び込みました。

Vitalityという健康増進型保険を新規開発するというプロジェクトのシステム関連、書類事務回り(申込書を渡す、記入してもらう、そこから実際に使ってもらうという顧客のステップ:customer journeyをスムーズにする仕事)を担当している部署付きの通訳兼翻訳者として雇っていただきました。なぜ、ザ・日本の会社で通訳が必要かと言うと、なんとこの保険もともとは南アフリカの保険会社が25年ほど前に開発したというもの。1国1保険会社方針を貫いており、日本は私が就業した会社さんがコンペで提携権を勝ち取ったのでした。

仕事はやはり携わっていると面白くなるもので、2人目はプロジェクト終了してからでいいか、と思っていると不思議なものです。2人目の妊娠が分かりました。2017年6月頃です。出産予定日は2018年2月1日、恐れていた”健康保険1年以上”もクリアしています。ありがたいことに、こちらの企業さんでも復帰可と言っていただき、よし!

と思っていたのも束の間、長女がその8月に子供の腎臓病、ネフローゼ症候群を発症します。(簡単に言うと、尿たんぱくが出続ける病気です。これはまた別の機会に書きたいと思います。)即入院で、退院まで2ヵ月はかかるとの突然の宣告。病院は保護者の付き添い必須で、自分の親からも仕事は辞めてずっと付き添ってあげたら、の言葉。あまりの突然のことで、また、付き添いをしながら仕事を続けるという方法も思いつかず、とりあえず、数日お休みをいただき、次に出社する際に退職の意向を伝えようと思っていました。

入院後初の出社日、チームのメンバー(と言っても、私以外にメンズ2人。笑)と室長の4人でゆっくりと時間を取って、お話しさせていただいていると、「週1回とかの出勤でもいいので、辞めない方向で考えてみて。」とのこと。当時は、1日7時間、週5日で勤務していたので、予想外のありがたいお言葉でした。私の仕事に対するモットーは”Stick to it (とりあえず、しがみついてくっついて行く)”。就業先がそう言ってくださるのであれば、ぜひとも続けて行きたいと、その8月と9月は週1回で乗り切りました。その後は、上記の①、最低就労基準時間の64時間を下回らない形で仕事を続けました。我々夫婦の母達、叔母(母の妹)、私の弟、夫などいろいろな人の協力のおかげもあり、長女が再入院中も病院から出勤するという荒業で月64時間を無事達成することができました。


そろそろ産休が近づいてきた頃に、今回は育休を取れるだろうと派遣会社に確認すると、なんと要件は単に1年以上健康保険を掛けたらよいというのではなく、規定時間分働いていないと要件を満たさないと言われてしまいました😿よく考えたら、9月の契約書から週1回の文言に変更して、社会保険からも外れていました。そして、あまり大きくない派遣会社なので、産休制度もないとのこと。よって、こちらの企業さんとは、契約終了とともに退社→2018年の7月頃に復帰の口約束をすることとなりました。今回はなぜ、次女出産後5ヵ月での復職を考えたかと言うと、携わっていたプロジェクトのシステム始動(ローンチ: launch)が7月24日だったから。せっかくだから、ローンチはチームのみんなと迎えたいと思っていました。

常に綱渡り

次女は帝王切開で2018年1月20日に誕生。長女の保育園の通園要件はこの頃には、就業から産休に変わっていました。こちらが変更届を出したというより、みんな私が出産することを知っているから、保育園からシレっと要件変更届が渡されました。。。そして、子供の誕生から56日後が属する月の最終日(2018年3月31日)までが長女の保育園に通い続けられるリミットとなっていました。とはいえ、本人は入院したり、退院しても感染症予防のため保育園に通えていませんでしたが、ずっと通えていないからこそ、通園が可能になった時に前のお友達のいる環境に戻してあげたいという思いが強くありました。

前述の生保さんとは口約束していたものの、夫が2018年4月から東京へ転勤となりました。長女はネフローゼの症状を繰り返しており、東京へ一緒に行くのか、大阪に残って、夫以外の家族からの協力を得て仕事を続けるのか、どちらも無謀のような気がしました。そうこうしていると、7月ではなく、5月頃に復帰は可能かという連絡を受けました。もしかすると、10月頃に夫に遅れて上京するかもしれないという思いもあったので、口約束はそのタイミングで辞退させていただきました😿(こちらの生保さんには本当にお世話になりました。この働き続けるというのが、あとあとすごく意味を帯びてきます。2017年の夏のタイミングで仕事を辞めていたら、今の私はどうなっていたでしょうか。あの時にチャンスをくださった恩は忘れられません。)さあ、辞退したとなると、就業証明を書いてくれる一番候補を失ってしまったわけですから、長女は2018年3月31日で退園を余儀なくされます。うーん、どうしたものか。市役所に相談に行きました。

確認すると、4月以降3ヵ月間は次の就職までの猶予期間があるとのことでしたので、今度は保育要件を就職活動中に変更して在園を続けました。4月頃になると、長女は合う薬と子供の腎臓を専門とした先生と出会うことができ、少しずつ時間を増やして、毎日保育園に再度通えるようになりました。そうなると、ますますこのまま卒園まで通えたらなという思いが強くなりました。7月以降にどこかに就職できるだろうか、どこかに就職するなら次女も保育園に入れないといけないし、全く知らない人間を雇う場合に、「長女は持病を持っていて、いつ休むか分かりません。しかも、次女もいるので、就業時間は保育要件の最低就労基準時間でお願いします。」なんて言う奴なんて雇ってもらえないだろうな、と日々模索していました。

すると、ふっと自営業で就労証明を出すのはどうだろうかと思いつきました。早速市役所に問い合わせみると、自営業の場合は全て自分の記載で大丈夫とのこと。もともとフリーランスの仕事を並行して受けていたこともあり、いつかは青色申告とかしようかなと思っていたので、この際、開業届を出してしまえ!青色申告にもしてしまえ!!と決めました。




こうして、2018年6月8日、めでたく開業届を提出。長女は卒園まで保育園に通えることとなりました。(実際には、卒園の1ヵ月半前に東京に引越してしまいましたが、卒園式は府中市民になった後も出させていただけました(*˘︶˘人))

振り返ると不思議です。開業届を出したことにより、数ヵ月間忘れていた仕事への思いが芽生えました。開業からちょうど1週間後にたまたま次女出産後初のフリーランスの仕事が入っていたこともいい流れでした。生保会社さんを退社してからおよそ半年、長女の度重なる持病の再発と次女の出産、夫の東京への転勤、自分たちは大阪に残るという出来事に振り回されていた私ですが、「やっぱり通訳の仕事が好きだ」と再確認できるよい機会となったのです。そうなると、ますますやりたいと思うのが人間の性(さが)。1ヵ月に数回と思っていたのが、週に1回、秋の繁忙期には、3日連続案件など、気づけば毎月何らかの仕事をしていました。その時は無我夢中でしたが、府中市に引越して次女の保育園の入園申込手続きを行う際、この毎月実績がある、というのが私を助けてくれました。

後編は次女の保活について書きたいと思います。

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