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通訳者+コミュニケーションストラテジスト その3 通訳学校を卒業したら。

前回は通訳学校に通っている期間について書いた。(と言っても、通訳学校の内容については全く書いていないが。。。)今回は卒業してからについて書いてみたいと思う。

2012年3月に通訳学校を卒業して、すぐにフリーの仕事が来るとも思ってなかったが、どこかでもう少しスムーズに仕事が舞い込んでくることを期待していたように思う。そして、仕事の打診がくれば、イコール、仕事に行けるとも思っていた。

というのも、(通訳以外のフリーランスの仕事を受けたことがないので他のフリーランスがどういう風になっているか分からないが)通訳のフリーの仕事というのは、まず、エージェントから日時について打診がくる→OKと返信する→仮での日時の確保→遅くとも案件1週間前には確定、またはリリースの連絡、という流れになっている。仮ステータスの間には、エージェントによるお客様との交渉、お客様による複数エージェントへの相見積もりなどが行われて、確定・リリースの決定がなされる。確定した後も、キャンセル規定が発生する前であれば、通訳者の人数調整でリリースになることもある。

そんな事情はつゆ知らず、初めてリリース(初めての案件で初めてのリリース)の連絡が来たときは、そんなことってあるの!?😯とびっくりした。

並行して、社内通訳者の募集を探したが、なかなかない。大阪の通訳市場は全体の5%~10%と言われ、東京に比べると常時仕事が少ない。

ちょっとして、IT大手の富士通で通訳者を募集していることを知った。応募、顔合わせを行い、幸いにも雇ってもらえることとなった。業務内容は、データセンターサービス部隊と営業部隊にまつわる翻訳通訳業務。それまで、お客様の意思決定は日本人がなされていたとのことだったが、その企業さん(保険会社)が外資系の傘下に入り、英語でのプレゼンが求められるようになったため、初めて通訳者を雇うに至ったとのことだった。もともとサトーで営業をしていた頃(その1~通訳者になろうと決意するまで~をご覧ください。)、システムやデータを扱っていたこともあり、技術的な内容に関してハードルはそこまで高くなかったように思う。むしろ、サトーのサービスの延長線上(顧客よりコアな基幹システム側)に富士通のシステムが存在するということもたまにあったので、データはこうやって繋がるのか💡と新しい発見あってが面白かった。

ただ、ザ・日本人の日本語を英語に変換するという作業がメインになるのは初めての経験でいろいろと勉強させていただいた。よく、通訳者は「おっさんの日本語を使いこなせる必要がある」(おっさんという表現が不適切であれば失礼いたします。親しみを込めて使わせていただいております。ちなみに、私は自分の子供以外の子供と話す時、自分のことをおばちゃんと呼んでおります。単に年齢的にその辺が妥当だと思っているからで、気持ちは常に20代です💛笑 なので、便宜上、おっさんという単語を使わせていただきます。)と言われており、その洗礼を浴びた。

例えば、「~の件について検討中」というようなフレーズをどう訳してよいのか分からなかった。今となれば、”~ under discussion/ under consideration” とするが、まず、日本語の検討が実際に何を指しているかよく分からなかったし、英語の辞書を見ると、analysis, audit, examinationなど。それに対応する分析、監査、調査らしきことは日本側でしていないようにも思える、、、とものすごいひよっこ🐣だった。

そうこうしていると、長女の妊娠が分かり、入社から9か月で産休→一旦退社→その後、2014年の3月に復職した。 通訳者、保育園を探す 前編 (開業届を出すまで)


そこからが気持ち的にしんどかった。翻訳通訳業務が必要となるのは、社内の営業さんがお客様に何かアクションを起こすときのみ。出産する前は、特に時間の制約がなかったので、残業することもできた。しかし、出産してからは、保育園のお迎えのプレッシャーにより、なかなか残業を受けられなかったし(新米ママすぎた💦)、社内のメンバーさん達も気をつかって、私の定時に引っ掛かりそうな案件はチームの他のメンバーに振ってくれていた。出産前に私1人で対応していた量を2,3人で分け合うようになったのだ。客観的に聞くと、「ものすごいいい環境ではないか!」と思われると思う。しかし、まさにマミートラック(育てしながら働く女性が、子育てと仕事の両立をしていく中で昇進や昇給などの機会が難しくなるキャリアコース)。もともと派遣なので、昇進や昇給には興味がなく、ただただ通訳者として経験を積みたいというだけなのだが、それがまったく満たされず、ただただ、『待つのが仕事』という日々が過ぎていった。

気持ち的にはしんどかったが、時間を無駄にしたくない私は、会社のちょっとしたスペースでぶつぶつ通訳練習をしてみたり、派遣会社の担当者さんからもらった『コンピュータシステムの基礎』という本をもとに、今まで分かったようで分かっていなかったコンピュータシステムについて1から勉強することにした。なんてったって、分からなければ、質問できる人たちは近くにたくさんにいるし、みんな丁寧に教えてくださった。


社内では悶々していたが、月に何回かはエージェントからフリーランス案件をいただくようになった。環境をすぐに変えることは難しいので、自分の意識を少し変えることにして、ひっそりと案件を受けるようになった。少しずつ少しずつ実績を積んでいると、フリーランス仲間から、「これまでとは違うエージェントで登録できた」と聞いた。これは、エージェントでも推奨されていることで、いろんなエージェントに登録して実績を積んで、自分のところの案件の幅も増やしてほしいと考えているそう。ただ、私が通訳学校を卒業したばかりの頃は、実績がなさすぎて卒業した通訳学校系のエージェント以外では登録させてもらえなった。それが、登録できるかもしれないと知り、さっそく問い合わせてみた。すると、「数年前は登録できない、という案内で失礼しました。」とのことで、早速、ちょこちょこ案件を回していただけるようになった。

フリーランス案件が楽しくて、打診いただけるものは何でもできるだけ受けた。その1つがこれ👇

ただ、やはり、フリーランスの案件は浮き沈みがあるもの。富士通の環境はワーママにとってはありがたいものだったけど、もう少し挑戦できるところはないかと転職を決意。富士通時代に身近に感じるようになっていた保険業界へと環境を移すことにした。 ただ、保険業界を狙っていたというわけではなく、派遣会社の担当者に問い合わせた際、「富士通の目と鼻の先にある企業さんで通訳者を募集している」とのことだったから。通勤ルートが変わるストレスが少ないかなとも思い。

次回は、保険会社に移ってから現在について書いてみたいと思う。 通訳者+コミュニケーションストラテジスト その2 ~通訳学校入学から卒業するまで~


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